2020-02-24 / 最終更新日 : 2020-09-24 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 「自明性の罠」からの解放 著者:見田宗介 前置き: 現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。 現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。こ […]
2020-03-05 / 最終更新日 : 2020-08-16 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 自他の「間あい」 私たちは他者を通じて自分を再発見する。その際ぶつかりすぎて決定的なダメージを負うことを避けるために「間あい」を使うと筆者は述べる。
2020-03-07 / 最終更新日 : 2020-09-08 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 「私」中心の日本語 日本語は人の目を意識した言語である。人の目や世間を意識するあまり、状況によって「私」「俺」「僕」などのように、自分の呼び方を変える。
2020-03-07 / 最終更新日 : 2020-08-16 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 日本人の「自然」 「自然」は本来日本と西洋で意味が異なる。西洋では山や川、そこに住む動植物など名詞としての意味を持つが、日本では「おのずから、ひとりでに(そうなる)」といった副詞としての意味を表す。
2020-03-07 / 最終更新日 : 2020-08-16 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 存在としての建築 20世紀の建築はコンクリートを扱うことで「見た目」を重視したグローバリゼーションを達成させた。しかしその弊害も多い。見た目よりも「どう作るか」を重視することで人間の豊かさが見えてくると考える。
2020-03-07 / 最終更新日 : 2020-08-16 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 手の変幻 ミロのヴィーナスは手が欠けているから「こそ」美しい。再現されたら無数の復元案が一つに限定されてしまう。また欠けた箇所が「手」だからこそ無数の再現案が生まれたのだ。
2020-03-14 / 最終更新日 : 2020-08-16 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 働かないアリに意義がある 働かないアリがいる組織は一見非効率に見えるが、そんな組織は働いているアリが疲れた時に交代して休むことができ、結果的に長く存続が可能な「よい」組織である。また「役にたつかわからない」個性を持った働きアリも、いつか「役に立つ」存在に変わるかもしれない。働かないアリにも意義がある。
2020-03-14 / 最終更新日 : 2020-08-16 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 消費社会とは何か 現代は消費社会である。物ではなく、意味や観念を消費するために、いつまでたっても満足することがなく、限界を知らない。満足を知らない現代は「豊かさ」からは程遠い。
2020-03-14 / 最終更新日 : 2020-08-16 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 「集合知」という考え方 チェスの試合で、大勢のアマチュアによる集合知はプロの専門知に並び立つことが証明された。そして現在コンピュータという人間の知性増幅機が存在する。コンピュータを正しく使って一人一人の能力を補強した一般人の集合知は、専門知を超えるのではないか。
2020-03-23 / 最終更新日 : 2020-08-16 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 動的平衡 デカルトの時代より生命は取り替え可能なパーツの集合体という思想が強く、ES細胞や臓器の売買、遺伝子組み替えはその思想を反映している。しかしその生命の定義には限界があるのではないか。
2020-03-31 / 最終更新日 : 2020-08-18 shimarisu 第一学習社/改訂版現代文B1章 トランス・サイエンスの時代 現代社会の問題はもはや科学的な正しさでは解決できない。クジラやトキの問題、環境問題には「人の感情や価値観」が入ってしまうからだ。科学は正解のない人の価値観は解決できない。科学的合理性を超えた社会的合理性(トランス・サイエンス)を追求する必要がある。