判断停止の快感

著者:大西赤人

 前置き:

現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。この技術を使って文章を要約できさえすれば、人生に必要な国語力は十分です。

 現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。

 また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。

 さて、今回は美と汚れの話です。

要約文:

第一段落: 最近の若者の一部はキズや汚れに対する過敏なほどの嫌悪や、「きれい」に対する強い執着を持っているように感じる。

 具体例: 書店で平積みの本や雑誌を買う時、何十冊も積まれた週刊誌を上から下までチェックして、「きれい」な一冊を選び出す。あるいは、最近のテレビ・コマーシャルをみていても、「殺菌」「除菌」「消臭」といった商品の売り出し方が目立つ。


第二段落: きれいとは実は衛生観念・実利的な感覚とは異なる。不純物がない、見た目が清潔であればよい、という「快楽としての清潔」が重視されるのだ。

 対比1: きれいを漢字で書くと「綺麗」。綺は元来綾織物をさし、色彩が飛び出すような華やかで鮮やかな様子を表現しているという。しかし最近の傾向をみると、「きれいな政治」「きれいな日本語」「きれいな街」のように、感覚的・観念的な清潔さを意味している。

 対比2: きれい/きたないは衛生面に基づく判断ではない。見えないバイキンが無数にいようとも、外見が清潔でありさえすれば多くの人々は満足する。ヨレヨレの紙袋に入っているが実は完全無添加の菓子、美しく包装されているが実は有害物質含有の菓子が並べば、多くの人は前者をきたないと判断し、きれいな後者を選ぶだろう。

つまり、清潔は「本能的な快楽」なのだ。不純物・異分子を排除した統一感や一体感は、個別の判断を必要としない。考える必要がなく、その場の状況をひたすら無批判に受け入れ、浸っていればよい。

🐿の補足: ここでタイトルの意味が回収されます。0か1か、白か黒か、そんな状況は考える必要がなくて気持ちいいんですよね。答えがない問題は気持ち悪いし、ある人が悪だとわかったら全力で叩ける。清潔は思考停止であり、本能的な快感なのです。


第三段落: 清潔の追求は、異分子を忌み嫌う性質上、差別と結びつく。「きれい」「きたない」に絶対基準はないのだから、その基準を他者に当てはめてはいけない。

🐿の補足: 清潔とは「きたないものがない」という状態です。欠点がない、とも言い換えられます。どんなに良い点が合ったとしても、欠点があれば差別対象になりえるという思想です。

人は簡単に他人を傷つけます。ほとんどの人間は自分だけは「きれい」な側の人間だと信じています。自分が考える「きれい」「きたない」の基準に従って人を裁くのもおかしな話です。

高校国語の現代文は、小説でこの思想を伝えているんじゃないかと🐿は思います。有名どころの羅生門にしても、こころにしても、そこから読み取れるのは「いつか自分も悪人という立場になるかもしれない」という思想です。「きれい」という基準をもってしまうのは仕方ない。そこからどう行動するのか?という話だと思います。自分が気づかず差別していること、この機会に見つけてみてくださいね。


どんな話か理解できたでしょうか。

この「汚いものがない」=「美しい」というマイナスの美学については他の話でも取り上げられていますので、こちらもどうぞ。

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判断停止の快感” に対して1件のコメントがあります。

  1. shimarisu より:

    本文をふまえて、清潔の追求が差別と結びついた事例を論じよ。

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