日本人の美意識
著者:高階秀爾
前置き:
現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。
現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。
また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。
さて、今回の「日本人の美意識」では大筋から外れた具体例が非常に多く、筆者が何を言いたいのかわからず迷子になりがちです。全文を同じ熱量で読む必要はありません。筆者の言いたいことはいたって単純。筆者の主張以外の箇所を読み飛ばす勢いで読んでいきましょう。
要約文
第一段落: 日本人の美意識を古語「うつくし」と「きよし」から考える。
具体例: 「うつくし」の昔の意味は小さいものに対するかわいいという愛情表現であり、「きよし」は汚れのない、清潔な、という意味であった。このことから古代の日本人は小さいものや、汚れがない対象に対して「美しい」という感想を持っていたことがわかる。
第二段落: 「うつくし」からわかる美の対象。
対比: 日本人は弱く小さなものを美とみなすことに対し、西欧の根幹であるギリシャでは力や知恵、善が美とみなされていた。
具体例1: 日本では雀の子や「三寸ばかり」のかぐや姫をうつくしと表現する一方で、ギリシャでは美とは理想かされた価値であり、その証拠にギリシャの彫像を見ると筋肉隆々の像が目立つ。
具体例2: 日本の洛中洛外図や風俗屏風などをみても、細部の綿密な描写を大事にした「縮小された世界」であるのに対し、西欧の遠近法では画家から見た遠くのものは不鮮明に描くなど全体の空間構成を大事にしている。やはり日本は「小さな」細部を重要視していたのである。
第三段落: 「きよし」からわかる美の対象。
対比: 日本のきよしは汚れのない、つまり悪いもの(無駄なもの)がないという「否定の美」であるのに対し、ギリシャでは美は富や豊かさと結びついていた。(つまりあればあるほど美しい/よいという価値観である)
具体例: 余計な色彩を排除した水墨画、派手な動きのない能。庭の朝顔を全て切り取って一輪だけ切り取って飾ったという利休のエピソードは全て「否定の美学」であり、ギリシャ神話の3人の女神は全て「豊かさ」の象徴であった。
まとめ: 「うつくし」と「きよし」にひそむ日本人の美意識は現代でも未だ生き続けている。
政治を見ても、有能なやり手より、無能な「清潔な人」が好まれていることから明らか。
どんな話か理解できたでしょうか?
ついでなので、この日本人と西欧の美意識の違いがどこからきたのか、個人的に考察してみました。
思うに、島国と大陸の違いではないでしょうか。
常に隣国同士で戦争に明け暮れていた西欧に対し、外敵が攻めてくることの少なかった日本。日本の歴史が全て平和とは言えませんが、少なくとも「うつくし」「きよし」の価値観が育ったのは数百年単位で平和が続いた平安と江戸時代です。
戦乱の世では力や知恵、能力の高さがそのまま生存に繋がるために、美しいと思うのは当たり前です。例えば赤ちゃんのような弱きものは、極論、足手まといと思われても仕方ありません。一方で平和な世の中では知恵はともかく、力が必ずしも生存へと繋がりません。平和が作った心の余裕が、弱きものを美しいとみなす心の余裕を育んだのではないでしょうか。
戦争の英雄も平和な世では乱暴者になりかねません。私たちが当たり前に持つ価値観や信念も、時代と場所が違えばあっという間に移ろうものであったりして。。。
授業案:
他の文章を読み、筆者の主張を表す文にのみ線を引け。そして段落づつ要約せよ。
授業案:
現代日本において「うつくし」「きよし」の価値観が継承されている具体例を述べよ。
個人の感覚、文化、科学技術、対象はなんでもよい。その際、海外のものを調べて比較すること。