ミロのヴィーナス

著者:清岡卓行

 前置き:

現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。この技術を使って文章を要約できさえすれば、人生に必要な国語力は十分です。

 現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。

 また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。

 さて、今回の「ミロのヴィーナス」では後者の「抽象的思考と具体例の識別」に注目して読んでみましょう。

要約文:

第一段落: ミロのヴィーナスの彫像は、両腕が欠けているから「こそ」美しい。

  対比: 普通は両腕がある完全な状態だから美しいのに、なぜ??

  理由: 両腕が欠けていたからこそ、そこから無限の両腕のパターンが想像できるから。

🐿の補足: 

 普通は完全な状態のまま保存されているから美しい。だけど筆者はあえて「欠けているからこそ美しい」と表現しています。典型的な「逆説的」の使い方ですね。


第二段落: 筆者に言わせると両腕の復元案は興ざめであり、

      もし仮に真の原型が発見されても筆者はそれを「否定」するだろう。

  理由: 真の原型が発見されてしまったら、これまで無数の人々が考え出した

     「無限の復元案」が、たった一つの復元案に限定されるから。

 具体例: 両腕の復元案1「りんごなど物を持っていた」

      両腕の復元案2「入浴前など行動を表していた」

      両腕の復元案3「実は両腕は彼女の恋人の肩に置かれていた」


第三段落: 失われた箇所は「両腕」でなければならなかった。

  対比: もし失われた箇所が、両腕以外の目や鼻、乳房だったら??

  理由: 両腕、手とは他者とのコミュニケーションの手段を表す。だから無限の復元案が生まれたのだ。

 具体例: 恋人の手を握る行為が表すこと。目や鼻ではそれを再現できない。

🐿の補足:

 手話を持ち出すまでもなく、手は様々なコミュニケーションを表現できます。「そちらへ行って」という合図から「これを差し上げます」という意思、手を繋ぐという愛情表現、これらの具体例は手以外では成立しないでしょう。失われたのが両腕だったからこそ、人々は無数の「ミロのヴィーナス」を生み出せたのです。


 どんな話か理解できたでしょうか? 蛇足になりますが、リスはこの話を読むたびにユーミンの「14番目の月」という曲を思い出します。15夜、つまり満月になってしまったらあとは下がるだけ。完成直前の今が最高に幸せ。ユーミンが結婚直前に気持ちを綴った歌です。「ミロのヴィーナス」の主張とは少しずれますが、完成しないこその美しさという点では似たようなものを感じます。名曲ですのでぜひ聞いてみてください。

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