目に見える制度と見えない制度

著者:中村雄二郎

 前置き:

現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。この技術を使って文章を要約できさえすれば、人生に必要な国語力は十分です。

 現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。

 また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。

 今回の話はとにかく長いです。でも内容は単純です。現代社会は目に見える制度(例えば法律)と、見えない制度(例えば慣習)とが結びついて作られている。それだけです。どうでもいいと感じたところは読み飛ばして、5分程度で読みたいですね。

要約文:

第一段落: そもそもなぜ法律や制度があるのか? それは人間関係の争いを防ぐためである。集団が大きくなると、人間関係が複雑化し、「間接化」する。人間同士が直接コミニュケーションすることはなくなり、争いごとが起きるようになる。そこで、人間関係を中立に、客観的に、合理化した法律が必要になる。これが法律や制度が作られる要因である。法律ができて、私たち人間の意志の結びつきがなくなると、今度は逆に法律が人間を支配してくるようになる。

  対比: もともとの自然的・物理的な環境と比べ、法律や制度など人間の意志の元で作られた制度的現実を、筆者は「第二の自然」と区別する。

🐿の補足: なぜ法律があるのか。中高生に身近な校則を例に考えてみましょう。例えば、「学校でお菓子やジュースを飲み食いしてはいけない。」「学力テストで問題を解き終わった後に寝てはいけない。」という校則があったとします。どうして守らなくてはいけないのでしょうか?

 🐿もどうでもいい校則だと思っていました。しかし教師という立場になってそのカラクリを知ります。法律ができるには理由がありました。世の中には高校生にもなってゴミ箱と教室の床が区別できず、食べ物をそのまま放置して虫をわかす人はいるし、学力テストで一問も問題を見ず、そのまま突っ伏して寝て留年しちゃう人も存在するのです。もちろんこれを読む「あなた」は信じないでしょうが、そういうやばいやつはどこにでも、クラスに2~3人は存在するのです。意味のわからない法律があるってことは、意味のわからない「やばい」人が存在するという証明でもあります。

 世の中には隣人に鼻くそを投げつけ続けないと気が済まない人や、授業中突然暴言を吐いたり、息を吸うように万引きをしてしまう人も存在します。ではここで、悪いのは「やばい人」なのでしょうか?

 学校の論理ではその答えは「No」です。生徒にそんなことをさせてしまった教師や学校の制度が「悪い」と言わざるをえません。残念ながら世界は残酷で、生徒がそういう問題行動を起こすのにも原因があり、必ず毎年現れるものです。そんな存在が出てくると最初からわかっていたのに、対策を打たなかった教師や学校側が悪いのです。罪を憎んで人を憎まず? いえいえ、システム憎んで罪を憎まずですよ。そういうことをさせてしまった法律やシステムが悪いんです。(結局🐿は体と心を壊して逃げ出したのですが、もし極めたとしても代わりに何かを失う未来が待っていたとも思ったり。現場の先生はすごいのです。本当に。)

 社会に出ても案外同じです。会社にも、家庭にも、たいてい「やばい人」がいます。そこからお互いを守るのが法律であり制度です。どこまでがよくて、何をしたら罰せられるかちゃんと言語化・線引きしてあげることで、お互いの罪を未然に防ぎ、その中で自由に動けるというわけです。いやはや医術と宗教と法律は人を救うとはよくいったものです。

 しかし、法律ができたあと、社会の「民度」が高まったとします。育ちのよい品のある人が集まったとしたら、逆にこの法律がバカバカしくなってしまいます。ここに至って法律は人間を支配し、敵対的なものになると筆者は言うわけです。


第二段落: 目に見える制度ばかりではない。目に見えない制度も存在する。習慣として特に意識しないまま、内面化している。

  対比: 

目に見える制度の具体例

 →法的国家、地方自治体、政党、結社、学校、会社、組合、交通機関や通信機関

目に見えない制度の具体例

 →祭りを含む年中行事、贈与儀礼、出生儀礼、婚礼、葬制、祖先祭祀、物忌み、社会的差別、芸能や文化

🐿の補足: 目に見えない制度として2020年版が欲しいですね。都会に住む若者代表🐿としては、筆者があげてくれた例がわかるようなわからないような。あと30年もすればがらりと変わる気がします。

しかし目に見えない制度に影響を受けているのも事実。好きなアーティストやお気に入りの漫画、テレビや友達との会話で得る情報。そこから無意識に「モラル」や「常識」を学んでいるはずです。その機能が昔で言えば家制度であり、地域の行事であり、芸能や文化だったのでしょう。


第三段落: 具体例として、男女の愛の形を取り上げる。

  対比: 昔の恋愛観と、近代以降の恋愛。近代以降の自由恋愛の方が本来の自然であるものだと一般的には考えられているが、実際は逆。近代的な恋愛こそが、歴史的な制度によって、あるいは目に見えない制度によって「作られた」ものである。

 具体例: 

目に見える制度 → 18世紀のフランスのサロンで確立。

目に見えない制度 → ゲーテの小説や手紙を真似することで、恋愛の手順や感情表現の形式が確立。

🐿の補足: 平安時代は自由恋愛の価値観が主流でしたが、江戸時代になると義理と人情が恋愛より上にきてることが江戸文学を読んでもわかります。自由恋愛なんて認めたら身分の差を超えて駆け落ちが流行って江戸政府が作った秩序がガタ落ちです。明治時代のころには家と家の婚姻が当たり前。0からはじめて一緒に愛を育てる人生。そして急に出てきた恋愛感情Maxになるまで結婚しないという近代の恋愛観。現代に至っては同性婚や非婚、契約結婚。様々な愛の形が生まれました。何が当たり前かはその時代によってコロコロ変わるということです。

 目に見える制度と見えない制度、両方から影響を受けて価値観は変わります。今絶対と思っていることも、数年立って社会が変われば、それに伴って自分も変わるかもですね。


まとめ:私たち人間は共同生活を営む上で、意識的、無意識的に多くの制度や秩序を作り、それを仲立ちとして互いに結びついている。


どんな話か理解できたでしょうか。  

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目に見える制度と見えない制度” に対して1件のコメントがあります。

  1. shimarisu より:

    目に見える制度として法律があげられている。身近な法律を例示せよ。
    (家庭内のルール、コミュニティ内のルール、友達との暗黙のルール、なんでもかまわない)

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