身体の個別性

著者:浜田寿美男

 前置き:

現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。この技術を使って文章を要約できさえすれば、人生に必要な国語力は十分です。

 現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。

 また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。

 今回のテーマは「自己中心性」です。私にとってはうれしいことでも、他人にはそうだとは限らない。そういう多様性の話です。当たり前の話なんですけど、意外と理解できない話でもあります。丁寧に読んでいきましょう。

要約文:

第一段落: 人はどうやっても他人の視点を獲得することはできない。これをピアジェの自己中心性と区別して、「本源的自己中心性」と呼ぼう。

  対比: ピアジェのいう「自己中心性」と、筆者の唱える「本源的自己中心性」

 具体例: ピアジェは幼児を観察し続けたスイスの発達心理学者である。幼児は自分の視点でしか物事を考えることができない。例えば、幼い兄弟に次のようなことを聞いた。

「(弟である)君にお兄ちゃんはいますか?」 → 「いる」

「では、あなたのお兄ちゃんに兄弟はいますか?」 → 「うーん。いない?」

 つまり、幼い弟は自分の視点から見ると兄のことを兄弟だと認識できるが、兄の視点を持てないので、兄にも自分という兄弟の存在がいることを想像することができないのだ。人は発達・成長することで他者の視点を想像することができ、それにともない科学的な客観性や相互的な社会関係をもてるようになるという。自分の視点しかもつことができないというこれをピアジェは「自己中心性」と呼んだ。

 ピアジェは成長するにつれて、自己中心性はなくなり「脱中心化」するという。だが筆者は生涯この「自己中心性」から逃れられないという。人はどこまでいっても自分の身体に縛られており、他者の気持ちを「想像」することはできても、実際に何を見ているのかを体験することはできない。他者の苦しみをそっくり引き受けることはできないのだ。

🐿の補足: 「いないいないばぁ」なんてまさにピアジェのいう自己中心性が現れた文化ですよね。大人が手で顔を隠す。あれを幼児は「目には見えないから顔はなくなってるはず」と思うわけです。なくなってるはずなのに、「いないいないばぁ」でいきなりでてくる! その意外性に幼児はびっくりして驚き、笑ってしまう、という心の動きですね。幼児にとっては目に見えるものが全てであり、他者が自分とは違うように動く、なんて高度なことは考えられないのです。

 大人になると、そういう幼児性は消えて、他者は自分と違う考えがあると気づけるようになります。だけど、それは本当? というのが筆者の疑問であり、この話のテーマです。


第二段落: 自己中心性と利己主義は全く別のものであり、それは両立可能だ。

  対比: 自己中心性とは自分の視点にこだわってそこから離れない、あるいは離れられないことであって、自分の利益追求を何より優先させてしまうという利己主義とは話の土俵が異なっている。

自分の視点にこだわり、その思想を貫く時、社会にどのような影響を与えるのか、それを正確に観察することができない。他者の視点をもたないというのが自己中心性である。「他者のためになる」と考えても、他者の気持ちを聞かないという時点で、独りよがりになる可能性をもつのだ。

よって自己中心性と利他性は両立可能である。例えば「あなたのためを思って」という思いやりを取り上げたい。母親が遊びまわって勉強しようとしない子供を心配してこの言葉を発したとしよう。この言葉は確かに利他的だ。だが「勉強が子供のためになると考える」のは子供ではなく母親だ。そういう意味で自己中心性も備えている。


第三段落: 自己中心的利他性の恐ろしさ

 具体例: お互いの立場に上下関係があるとき(例えば親と子、先生と生徒、福祉施設の職員と利用者)、相手の親切をお節介だと考えても言い返せないという弊害がある。

 もっと怖いのは第二次大戦中、日本が提唱した「大東亜共栄圏」という発想である。欧米に侵略されて植民地化された東南アジアや東アジアを欧米諸国の毒牙から解放して共に栄える世界を作ろうという思想であったが、現実は日本による侵略行為でしかなかった。見た目は利他的だが、実際は自己中心性である。日本から見たら完全に善意であったが、当地の人々には迷惑行為を超えて恐怖の思想でもあった。

🐿の補足: 現在でも「大東亜共栄圏」という思想は密かに受け継がれているのではないかと個人的に思います。例えば「僕たちは世界を変えることができない」という映画があります。日本で何不自由なく暮らした普通の大学生たちが「何か特別なことをやりたい」という動機でカンボジアに学校を建ててしまった話です。建てるのももちろん大変なのですが、結局主人公は「学校を建てただけでは世界を変えることはできない」という結論に落ち着きます。

 カンボジアは確かに悲惨な歴史を持っており、子供達は満足に教育を受けることはできません。そこで学校を建設するのですが、それだけでは不十分です。ノートやペンなど物資は必要。何を教えるのかカリキュラムも必要。それが未発達のまま外国人が学校だけ建てた結果、カンボジアの国民としては「なんの役に立つのかわからない教育」に働き手の子供を取られてしまったと感じ、学校教育に対する失望が広がり、中退率は高まりました。また、外国人がなんでもやってくれるために「住民である自分自身がなんとかする」という気概が育たず、結局外国の援助なしでは何もできないという事態を招いています。志は立派でも、結果を見ると……という事例です。現地民へのリスペクトも持たず、必要な能力や哲学もない援助は「利他的」な「自己中心性」です。やはり大人になっても「自己中心性」からは逃れられないのです。


まとめ: 私たちは大人になっても「本源的な自己中心性」からは逃れられない。それを自覚しなければいけない。


どんな話か理解できたでしょうか。

自分にとっては嬉しいことでも、他人にとってはそうではないかもしれない。気づかない方が幸せな人生を送れるかもしれません。

🐿はぼっち行動が好きで、半年くらい誰とも喋らなくてもわりと平気な、いわゆる「隠キャ」ですが、「陽キャ」の方々から「かわいそう」と思われて遊びに呼ばれるのはなかなかつらいものがあります。(大抵ありがたいと感謝しながら爽やかに断ります)

 だけど、そんなことを考えても、それでも人に優しくありたいと思います。なんだかんだで人から入れてもらったお茶はおいしいし、人に喜んでもらうのはそれだけで嬉しいものです。相手は喜ばないかもしれないと思いながらも、それでも優しくする自分でありたいし、そんな社会に住みたい、と思うのです。

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