「集合知」という考え方

著者:西垣通

 前置き:

現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。この技術を使って文章を要約できさえすれば、人生に必要な国語力は十分です。

 現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。

 また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。

 さて、今回の「『集合知』という考え方」では対比対象がわかりにくいですが、対比を意識しながら読んでいくと筆者の持論を受け取りやすくなります。

要約文:

第一段落: 20世紀は一人のプロフェッショナルによる専門知の時代だった。現代はネットを使った大勢のアマチュアたちの「集合知」に注目したい。

🐿の補足:一般教養として「集合知」の意味について軽く説明しますね。20世紀はわからないことがあったら先生や研究者、専門の先生に教えを乞うことが当たり前でした。これを専門知と言います。それに対して集合知とは、専門でもなんでもない大勢の一般人の知恵を指しています。「三人寄れば文殊の知恵」とも言いますが、一人一人は凡人でもみんなで知恵を合わせればそれは専門家の知恵も超えるんじゃないか?という現象を「集合知」と呼びます。

 具体例: プロと、初心者も含めた5万人の集合知によるチェスの試合が行われた。結果はプロの勝ちだったが、かなりの接戦だったという。

この試合から考えられる集合知のポイントは3つ。「独裁的な雰囲気ではうまくいかない」「リーダー不在でもうまくいかない」「優れたリーダーの元、様々なアイディアが活発に出される雰囲気ができたとき、集合知は機能する」

🐿の補足: 一人一人は凡人でも、数を増やせばその知能は天才を超えられるのか。ソクラテスの毒杯を思い出してしまいます。ソクラテスは当時の衆愚政治で死刑を言い渡され、毒を飲みました。当時のギリシャは現代と同じく国民が政治を決めることができたのですが、政治を決める国民の大半は無知で愚かだったので、一部の知識人の言いなりになって投票を決めてしまう時代でした。リーダーが「ソクラテスは死ぬべき」と考え、多くの凡人がそれを信じて投票した結果、ソクラテスは死んだのです。凡人が増えても知性の欠如はどうにもならないという例ですが、現代は違うようです。


第二段落: 集合知は素晴らしい可能性を持っている。そしてさらにコンピュータを使うことで一人一人の知性を補強し、集合知の質をさらに高めることが可能だ。

  対比: 一般的に、コンピュータはそれそのものが素晴らしく、政治やチェス、翻訳を任せれば全てうまくいくのではないかと思われがちだが(AI論)、所詮はコンピュータは人間の知性増強の道具である(IA論)。

🐿の補足: よくあるコンピュータの誤解に、コンピュータに任せればなんでもうまくいく。というものがあります。確かに🐿もITエンジニアの端くれです。コンピュータに疎い人が一日かけてちまちま行う事務作業を、自動化してコンピュータにまかせ、自分はのんびりティータイム♪ なんてこともできてしまいます。しかしそれができるのは自分ができる内容、知っている内容だけです。自分ができること以上のことをコンピュータに任せることはできません。理解できないことを検索しても理解できないままですし、自分ができない数学問題をコンピュータに解決させることも不可能です。できるとすれば自分が1日かけてできる仕事をコンピュータに5分でやってもらうくらい。コンピュータはいわば、作業短縮装置でしかないのです。

 しかし作業時間を短縮できればより多くのことを学べます。よりパワーアップした人類が集まれば、さらに集合知の質を高めるのではないでしょうか?

まとめ: コンピュータを使って一人一人の知性が補強された一般人の集合知は、専門知を超えるのではないか? そのためにはコンピュータに関する誤解をといて、より良い使い道を模索するべきである。


どんな話か理解できたでしょうか?

 筆者は集合知の素晴らしさを全面的に謳っていますが、実際集合知を機能させるってめちゃくちゃ難易度高いですよ。人気漫画家を目指して漫画を書くという名作漫画「バクマン」には、まさにこの集合知を使って漫画を書くライバルキャラが現れます。インターネットで50人のアイディアマンを見つけ、漫画のアイディアを出してもらう。作者がアイディアをまとめて話を作り、これまた多くのアシスタントに絵を描いてもらうという手法です。果たしてこの集合知は一人で作品を作るプロを超えられるのか。

 結果は惨敗。集合知を束ねる作者は50人の意見をまとめられず、瓦解してしまいます。感情も意思もやる気も異なる多くの人間をまとめてプロジェクトを進めるのはすごく難しいって話でした。

 🐿も集合知の難しさを実感したこと、あります。昔twitterで見知らぬ人たちと出会ってやりとりするのがあまりにも居心地良すぎて、twitterで知り合った気の合う人たちとシェアハウスしてトキワ荘もどきやろうって思いついて実行に移したことがあります。

 一時期は20人以上集まりました。

 皆立派な社会人。社会人として培ってきた知恵や経験、人脈をフル活用してもらい色々と面白いことをやってきたのですが、シェアハウスにいたることなくあっという間に瓦解してしまいました。各々の主張と要求を🐿がまとめきれなかったせいですね。

 皆いい人でしたし能力も高かったです。その分それぞれの言い分にも根拠があるし、いいものに見えた。しかし一人の言い分を取れば、「それはちょっと違う」と考える人が去っていき、去っていき、去っていき。。。。って感じです。まあ今となってはいい思い出です。

 そういうことを考えると、コンピュータを使って各人が優秀になればなるほどそれをまとめるのも大変だとおもうのですが、🐿がそういう方面に対して無能だっただけで、上手い人がやればほんとにうまくプロジェクトが回るような気もします。次世代のエリートの条件って集合知を機能させられることなんじゃないかなあって、所詮勉強しかできない🐿は思うのです。未来の集合知の発展に期待です。

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「集合知」という考え方” に対して1件のコメントがあります。

  1. shimarisu より:

    授業案:
    集合知を実感したことはあるか。自分の体験や見聞を織り交ぜた具体例を入れて集合知を説明せよ。

  2. 匿名 より:

    第3段落の要約は?

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