未来世代への責任

著者:岩井克人

 前置き:

現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。この技術を使って文章を要約できさえすれば、人生に必要な国語力は十分です。

 現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。

 また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。

 さて、今回の「未来世代への責任」は対比と具体例も大事ですが、それ以上に現代社会や倫理で学ぶ経済学の基礎知識がないと、ちょっと理解し難いです。ついでに経済学も一緒に学んじゃいましょう。

要約文:

第一段落: 経済学は倫理を否定するところから出発した。アダム・スミスの「神の見えざる手」理論によれば、他者のことを考えることなく、自分の利益を追求することこそが社会全体の利益に繋がるというのである。

🐿の補足: 「神の見えざる手」について補足します。社会にはたくさんの人がいますが、それぞれ個人が自分の欲望にしたがって行動することにより、経済や社会は勝手に発展していくという経済学の古典です。個人が欲望のままに行動したら万引きや犯罪が起きてしまうのでは? と考えたかもしれません。いいえ、万引きなど犯罪は長い目を見たら損をしてしまうと私たちはちゃんとわかっています。刑務所にいれられて、周囲の人には変な目で見られて何をするにも一生不自由。ちゃんとした人ならそれをわかっているのです。じゃあどうすれば自分の利益を最大化できるのか。そのためには何が求められる商品なのか考え、自分も儲けつつ、他者に恨まれず長く続けられるように、方法を考えなければいけません。そこに「他者のためを思って」という利他的な倫理はなくても大丈夫なのです。そうやって一人一人が自分のことだけを考えて行動した結果、社会全体の利益が向上するというわけですね。


第二段落: 環境問題も経済学の考え方、つまり倫理を捨てた考え方で解決できるのでは?

  対比: 一般的に環境問題は、人間の自己利益追求が原因だと思われている。だが本当はその逆。人間の自己利益追求による「私的所有制度」が環境問題を解決するのだ。

 具体例: 家畜の放牧を例に、環境問題について考えたい。家畜は草原の牧草を食べる。放置していたら人間はどんどん家畜を増やし、家畜は牧草を食べ尽くすだろう。これが環境問題の始まりだ。

 この原因は草原が誰かに私的所有されていないことである。もし草原が私的所有されていたら? 家畜の持ち主は草原の持ち主に気を遣い、環境問題を起こすほど家畜を増やさない。「気を遣う」という倫理がないとしても、草原の持ち主が草原の使い方に制限を決め、お金を請求すればやはり環境問題は起こらない。


第三段落: 京都議定書は地球温暖化という環境問題の解決のために、上記の私的所有性の論理を取り入れた。

具体例: つまり京都議定書を上の環境問題に置き換えると、空気に所有者を割り当てることで、各国の二酸化炭素排出を減らす努力を求めたのだ。二酸化炭素を排出すればするほどお金を払う必要がある。この「経済の論理」で二酸化炭素排出は自然と減っていくはず。

🐿の補足: 京都議定書とは? という方のために補足です。地球温暖化は温室効果ガスが原因だと言われています。そこで世界各国の偉い人々が集まって、それぞれの国に温室効果ガスの削減を割り当てることにしました。各国は火力発電を他の発電に変えたり、ガスを排出しない自動車を開発するなど様々な工夫をこらして世界全体で温室効果ガスを減らそうね。という決まりのことです。


第四段落: しかし、この取り組みはうまくいかなかった。

  対比: 所有権がうまくいくのは、各国間で利害が対立しあっていたからである。一方が不満を持てば、それをもう一方に申し出ることができる。各国はお互いに相手に遠慮し合って環境を管理するはずである。

 だが、京都議定書の場合は現在と未来、二つの世代の間の利害の対立である。現在の世代はまだ生まれていない未来の世代に遠慮をすることなく、自己利益を存分に追求することができる。

🐿の補足: 要するに二酸化炭素を減らす努力をするくらいなら、お金を払ってしまった方が安くつくというわけです。例えば二酸化炭素を減らそうと火力発電をやめると、下手すれば電力供給が止まり、人が死にます。経済活動も縮小し、社会が荒れます。現在の世界を守るためには資源を使いまくって、未来世代になんとかしてもらうしかないのです。

 「経済の論理」では、一方が不満を持てば調整が働き、環境問題は起きないはずでした。しかし不満を持つはずの未来世代はまだ存在していません。私たち現在の世代は誰に気遣うこともなく、資源を使い放題できるというわけです。


第五段落: 私的所有性という経済学では解決できない問題に行き当たってしまった。ここで必要になるのが、冒頭で捨てたはずの「倫理」である。未来世代という「他者のことを考える」倫理を持たないと、環境問題は解決できないのだ。


どんな話か理解できたでしょうか?

 今回は無駄に長文が多く、申し訳ないっす。社会や理科で学ぶ前提知識がないと理解は難しかったと思います。でもこの文章で経済学に興味を持つ人が出てきてくれたら、すごく嬉しいです。わかったら面白いので、ぜひぜひ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)