消費されるスポーツ

著者:多木浩二

 前置き:

現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。

 現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。

 また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。

 さて、今回の「消費されるスポーツ」は、はっきり言って難解です。(内容的にはそこまで難しくないのですが、筆者の言い回しが無駄に小難しく、いわゆる悪文ってやつで。。。。げほげほ。。) スポーツとメディアの関係性に見せかけた社会の話です。第一段落~第三段落まではスポーツとメディアの歴史について語ったかと思えば、第四段落で急に方向転換して社会の話になっています。論理構造をしっかりととらえましょう。

要約文

第一段落: スポーツは消費される娯楽として進化した。ここでいう消費とは「お手軽に興奮でき、物語を楽しめる。しかも読書や芸術と違って知的な苦労がいらない」という文脈で使われている。結果、アメリカではヒーローが生まれ、大衆はそれを喜んだ。その道具としてメディアは大いに活躍し、メディアとスポーツの関係性は深くなったのだ。

  対比: (なし)

🐿の補足: 「○○を娯楽として消費する」といってもあまりピンときませんね。そこで、ここではヒーローについて考えてみましょう。よーく考えるとヒーローも人間であり、私たち一般人と同じように、喜怒哀楽もあれば小狡いところ、精神的に弱いところも絶対持っているはずです。しかし、ヒーローという言葉でそれら都合の悪いところを全て隠してしまい、私達に都合のよい完璧な人間であることを、彼らに求めていることに気づくでしょう。自分にとって都合のよいように消費する。この感覚がここでいう「消費する」に当たります。

 スポーツは本来自分達でやるもの。ですが、プロスポーツを見ることで、自分でやらずとも、お手軽に興奮したり、選手やチームの物語を楽しむことができるようになりました。メデイアは大衆のその快感に目をつけ、視聴率のためにスポーツをそれまでとは別のスポーツに進化させたのです。


第二段落: スポーツの娯楽化において、メディアが果たした役割は大きい。

  対比: (なし)

 具体例: ラジオでスポーツを実況することによって、その場にいなくともスポーツを楽しめるようになった。やがてテレビが登場し、郊外の人の娯楽の需要をスポーツが満たすようになった。また、繰り返しや停止した画像を見せるなど、テクノロジーの進歩はより一層スポーツを魅力的にした。放送権料や視聴率が高くなるにつれて、スポーツが(金を産む)商品としての情報になったのだ。

🐿の補足: 今はインターネットが普及した分状況が違うかもしれませんが、田舎って本当にやることがないんですよね。🐿が田舎にいた頃は娯楽がテレビしかなく、休日は一日中テレビをぼんやりみてすごしていたものです()。そういう人々にとってテレビのスポーツはなくてはならない娯楽。メディアはその心理を利用し、スポーツを商品化することに成功したのです。


第三段落: メディアはスポーツに対して権力を持つようになった。

  対比: 元々スポーツはそのスポーツ自身の魅力で人々を引きつけてきたはず。だが、メディアが商品化することで「メディアが放送する時間」「テレビ向きのスポーツか」などでそのスポーツの印象やルールまで操作することが可能になった。

 具体例: アイスホッケーは目まぐるしすぎてテレビ向けではないので、放送時間を減らす。結果マイナーなスポーツに転落する。また、テニスは時間がかかりすぎるので、テレビが公式ルールを作り変え、テレビの視聴枠内に収まるようにした。


第四段落: スポーツとメディアの関係性から「社会」について考えたい。メディアはスポーツを通して、それを見る観客同士を結びつけることに成功した。それはスポーツの番組中のみ成立する「社会」である。元々は社会がスポーツを生み出していたが、今やそれは逆転し、スポーツが社会を生み出しているのだ。

🐿の補足: 第四段落からはもういっそのこと、全く別の話としてとらえてしまいましょう。いきなり「社会」の話が飛び出してきました。「社会」というと抽象的すぎるので、「コミュニティ」と言い換えてはどうでしょうか? 私たち人間は群れを作ります。趣味であったり、親族であったり、目標に対しての仲間意識であったり。スポーツを見るとき、私たちは心を一つにした「コミュニティ(社会)」を作るはずです。その現象に注目して、筆者は「スポーツが社会を作る」という逆転現象について主張してるんですね。

 普通は社会が先にあって、スポーツを楽しむもの。しかしメディアはスポーツを使い、離れたところに社会を作った。メディアの役割って興味深いね。っていう話。(だと思います。たぶん)


どんな話か理解できたでしょうか?

 (悪文でしたね。)

 長く、難しく書くことに価値はありません。短ければ短いほどいい文章です。(「面白かった。」がいい文章というわけではありません。念の為。)

 内容としては面白いので、一度教科書本文や、出典の「スポーツを考える」を読んで解読するのも面白いかもしれません。

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消費されるスポーツ” に対して1件のコメントがあります。

  1. shimarisu より:

    授業案: スポーツが本来のスポーツから大衆娯楽としてのスポーツまでと変わる過程を、図を用いながらわかりやすくまとめよ。

  2. shimarisu より:

    授業案: 消費されるのはスポーツだけではない。「消費される○○」という題で音楽やアイドルなど、自分なりに〇〇を埋めてその変遷と特徴をまとめよ。

  3. ゆう より:

    「消費されるスポーツ」の第四段落(特に最末部)の意味不明さに腹が立ち、解説しているサイトはないものかと探していたところ、ここにたどり着きました。
    細部を隅々まで理解することは、この人の文章の場合、難しいと思いますが、とりあえず「スポーツが社会を可視化する(=生み出す)」ということがわかればよし、と諦めるよりないですね。
    悪文故に意味不明な文章を理解しようとするのは、まったくの時間の無駄であり、そのような部分は教科書に注を入れておいて欲しいものです。(編集者も意味不明なのかもしれませんが)
    最後の「あるいはこう言うべきかもしれない」以降の部分は、本当に意味不明です。まず構文がどうなっているかわからない。(わかりますか? 時間の無駄になるといけないので、お答えにならなくても結構です)

    それはそうと、現代文という科目を「現代の知」を得るためのツールとしてもっと有効に活用しようというお考え(私の勝手な解釈ですが)にはとても賛同いたします。またコメントさせていただいきたいと存じます。

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