自然な建築
第一段落
「二十世紀とは、どんな時代でしたか。」と尋ねられたら、みなさんは何と答えるだろうか。僕は躊躇なく、「コンクリートの時代でした。」と答える。
それほどに、①コンクリートという素材と、二十世紀という時代は、相性がびったりだったのである。びったりだっただけではなく、コンクリートという素材が、二十世紀の都市を作り、国家を作り、文化を作った。その産物の上に、今も僕らは暮らしているのである。二十世紀のテーマはインターナショナリズムでありグローバリゼーンョンであった。一つの技術で世界を覆い尽くし、世界を一つにすることがこの時代のテーマであった。物流、通信、放送、あらゆる領城でグローバリゼーンョンが達成されたが、建築、能市の領域で、それを可能にしたのがコンクリートという素村だったのである。
まずコンクリートは場所を運ばない。木の薄い板を組み立てて型枠を作る程度の技術は世界中どこにでもあったし、コンクリートの構成材科である砂、砂利、セメント、鉄筋は世界中どこでも入手可能であった。型枠の中に鉄筋を組んで、砂、砂利、セメントを流し込めば、それまでである。鉄骨の建築も、二十世紀の産物ではあるが、鉄骨造はコンクリートに比べれば、はるかに難易度の高い、高度な技術であり、コンクリートほどに普遍的(グローバル)な建築技術は、かつて歴史上存在しなかった。
しかも、この素材は、場所を選ばないという普遍性のみならず、どんな造型をも可能にするという、もう一つの普遍性、別の言い方をすれば自由を有していた。型枠の作り方を変えるだけで、どんな曲面も自由に作れるし、もちろんストレートでシャープな骨組みを作ることも簡単である。だから、建築を学び始めたばかりの学生はコンクリートが大好きである。自分が作りたい形の輪郭線を描き、その線の内側はコンクリートがつまっているということにすれば、一応図面としての整合性はつく。それほどに、コンクリートは群を抜いて「易しい建築」なのである。
さらに、この形の自由さにブラスして、表層の自由というオマケもついてくる。豪華で、お金がかかったふうな建物にしたいときは、コンクリートの上に薄い石を貼りつければいい。バイテクつぽく、未来つぽい味つけをしたいときには銀色でシャープなアルミの板を貼ればいい。自然派、エコロジー派を気取りたいときには、木の板を貼りつけたり、珪藻土を薄塗りしたりすればいいのである。これは学生が描く図面だけの話ではなく、実際の建築の施工の実情である。僕らを取り囲む建築物のほとんどは、そのようにして、コンクリートの上にいろいろなお化粧をすることで、でき上がっている。こんなお化粧ノリのいい材料は、ほかにない。その意味でも、最も普通的な材料であり、それゆえに、あらゆるデザイナーの、あらゆるテイストに対して、コンクリートは自由に対応可能であるし、ローコストなものから高級建築まで、あらゆるグレード、コストに対しても、コンクリートは見事に、そのお化粧で対応するのである。
これほどに圧倒的な普過性があり、しかもコンクリートはめっぽう強い建築素材でもある。地震にも強い、火事にも強い、虫に食われることもない。そんな万能の素村が、二十世紀に普及しないはずがなかった。
第二段落
しかし、場所を選ばないということは、逆に言えば、あらゆる場所をコンクリートという一つの技、その技術の裏に潜む単一の哲学によつて、同一化してしまうということである。そして、場所とは自然の別名にほかならない。多様な場所、多様な自然がコンクリートという単一の技術の力で、破壊されてしまうのである。また、多様な表面のお化粧の後ろ側には、コンクリートという単一の揺るぎない本質が潜んでいるということにほかならない。そのようにして、自然の多様性が失われただけではなく、建築の多様性も失われたのである。二十世紀とは、そのようなさびしい時代であった。
さらにコンクリートの「強さ」についても、その「強さ」の質についても、我々は注意深く、見きわめなくてはならない。コンクリートは突然に固まるのである。それまではドロドロとしていた不定形の液体であったものが、ある瞬間、突然に信じられないほど硬く、強い物質へと変身を遂げる。その瞬間から、もう後戻りがきかなくなる。コンクリートの時間というのは、そのような非連続的な時間である。木造建築の時間は、それとは対照的である。木造建築には、コンクリートの時間のような「特別なポイント」は存在しない。生活の変化に従って、あるいは部材の劣化に従って、少しずつ手直しし、少しずつ取り替え、少しずつ変化していく。
この「強い」はずのコンクリートは、実のところ、きわめてもろい。強いはずのコンクリートは、永遠であるかに感じられても、数十年後には、最も処理のしにくい、頑強な産業魔棄物と化す。その劣化の度合いが表面からは見えにくいところが、さらに問題である。内部の鉄筋が腐食していても、あるいはコンクリート自体の強度が失われていても、表面からはうかがい知れない。木にしろ紙にしろ、時間がたてば傷む。しかし傷みが、はつきりと目に見える。だからその部分を取り替えることで、建築を長持ちさせることができる。木造の時間は、そのようにして連続的に、持続させていくことが可能である。ちょっとした観察力と傷んだ部分だけをこまめに取り替えるまめささえあれば、木造の時間はしぶとく、終わりなく流れてくれる。逆にコンクリートの不気味さは、その中身が見えないことである。見えないがゆえに、人々はそこに実際以上の圧倒的強度を仮想し、不安定を固定化する超越的な力を期待する。
中身が見えないことに、コンクリートの本質があったのである。それゆえ、その上に化粧の上塗りが平然と行われる。そもそも中身が見えていないのだから、その上に何かを重ねて、さらに不透明にしたとしても、その不透明な本質に変化はない。感覚はマヒし、上塗りは日常化する。
いわば、②コンクリートは、表象と存在の分裂を許容するのである。お化粧次第で、その中身とは関係なく、あらゆるものを表象することが可能だからである。石を貼ることで、権力と財力を表象することもできるし、アルミやガラスを貼って、テクノロジーや軽やかな未来を表象することも可能である。木材や建護土を貼って、「自然」を表象することすら、十分可能である。それゆえ表象が重視され、表象と存在との分裂が進行した二十世記という時代に最も適した素材が、コンクリートであった。あるものが、それが存在する場所と幸福な関係を結んでいるときに、我々は、そのものを自然であると感じる。自然とは関係性である。自然な建築とは、場所と幸福な関保を結んだ建築のことである。場所と建築との幸福を得た結婚が、自然な建築を生む。
では幸福な関係とは何か。場所の景観となじむことが、幸福な関係であると定義する人もいる。しかし、この定義は、建築を対象として捉える建築観に、依然としてとらわれている。場所を表象として提えるとき、場所は、景観という名で呼ばれる。表象としての建築と、景観という表象とを調和させようという考えは、ひと言で言えば他人事として建築や景観を評論するだけの、傍観者の議論である。表象として建築を捉えようとしたとき、我々は場所から離れ、視覚と言語とにとらわれ、場所という具体的でリアルな存在から浮強していく。コンクリートの上に、仕上げを貼りつけるという方法で表象を操作し、「景観に調和した建築」をいくらでも作ることができる。表象の操作の不毛に気がついたとき、僕は景観自体が不十分であることを知った。
場所に根を生やし、場所と接続されるためには、建築を表象としてではなく、存在として、捉え直さなければならない。単純化して言えば、あらゆる物は作られ(生産)、そして受容(消費)される。表象とはある物がどう見えるかであり、その意味で受容のされ方であり、受容と消費とは人間にとって同質の活動である。一方、存在とは、生産という行為の結果であり、存在と生産とは不可分で一体である。どう見えるかではなく、どう作るかを考えたとき、初めて幸福とは何かがわかってくる。
二十世紀には存在と表象とが分裂し、表象をめぐるテクノロジーが肥大した結果、存在(生産)は極端に軽視された。どうあるか、どう作られているかではなく、どう見えるかのみが注目された。二十世紀は広告代理店の世紀であったと要約した人がいるが、表象をめぐるテクノロジーを競い合う時代の主役こそ、ほかならぬ広告代理店であった。表象の操作を繰り返せぼ、広告だけは無限に作り出すことができ、それなりの感動も驚きも作り続けることはできる。しかし、それは人間の本当の豊かさとは関係ない。広告代理店にとっての豊かさではなく、人間にとっての豊かさを探りたければ、建築をどう生産するかに対して、我々は再び着目しなければならない。
隈研吾 「自然な建築」より抜粋