水の東西
著者:山崎正和
前置き:
現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。この技術を使って文章を要約できさえすれば、人生に必要な国語力は十分です。
現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。
また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。
さて、今回の題材はあの有名な「水の東西」です。世の中には国語の教科書が10種類以上存在するのですが、そのほとんどでこの話を採用しているので、大多数の日本人はどこかでこれを読んでることになります。読んだらわかると思いますが、二項対立の抜き出しがとてもやりやすく、論理的に読む初歩的な訓練になるのではないでしょうか。
要約文:
第一段落: (前置き)「鹿おどし」の紹介
対比: 西洋の噴水と日本の鹿おどしに見られる水のあり方
🐿の補足: 鹿おどしとは何か。本文に沿って長々と説明するよりは写真を見た方がわかりやすいので、トップ画は鹿おどしにしてみました。写真をみてもピンとこない人はyoutubeでもなんでもいいので、ググってあの優しい素朴な響きを聞いてみてください。鹿おどしが何かわからないと、この話は理解できません。
どちらも水の流れを表現するものですが、そこには日本と西洋の古くからの価値観の違いが現れているようです。
第二段落: 日本と西洋の水の捉え方
対比: 流れる水と噴きあげる水、時間的な水と空間的な水
具体例: 鹿おどしは水の流れをせき止め、刻む仕掛けによって、水の流れを強調している。一方で噴水は広場や庭園の風景の中心であり、音を立てて空間に静止しているようである。
第三段落: 日本と西洋の水の捉え方2
対比: 見えない水と目に見える水
具体例: 西洋人は水という自然を圧縮したり捻じ曲げたり、粘土のように作り変えることを好むが、日本人は自然に流れる水の姿が美しく感じるのだ。水の流れを感じることが重要ならば、水を実感するのにもはや水を見る必要さえないのである。ただ断続する音の響きを聞いて、その隙間に流れるものを心で味わえばよいのだ。それを考えると、鹿おどしは日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだと言える。
🐿の補足: 日本人は目に見えずともそこにあるものを感じる感性を磨いていたのかもしれません。古今和歌集に次のような有名な和歌があります。
秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
訳: 秋がくると、(秋のしるしは)はっきり目には見えないけれど、風の音を聞くと、「もう秋がきたんだなあ」とハッとさせられる。
立秋の歌です。つまり、視界的にも気温的にもまだまだ夏の頃に詠まれたのでしょう。紅葉や銀杏、すすきもないけれど、風に触れると秋がやってきたことがわかります。このように、目には見えない何かを感じて面白がるのが日本人なのかもしれません。(なんて、浅学につき外国の文化に疎いのでこう断定してしまうのは危険ですけど。もしかしたら外国もそのような文化を持ってるかもしれません。そのような例があればコメントで教えてください。)
というわけで日本と西洋の違いを考える、比較文化論のお話でした。二項対立の考え方が理解できたでしょうか?
どんな話か理解できたでしょうか。
冒頭でも述べましたが、この「水の東西」、古くから国語の教科書に採用されているだけあって、ネットにはどう読むべきかという感想がたくさん上がっております。読み較べて新たな読み方を発見するのも面白いかもしれません。
授業案
この単元では「水」をテーマに日本と西洋の対比を描いている。そこで何かテーマを決め、日本と外国とで対比して論じよ。