相手依存の自己規定
著者:鈴木孝夫
前置き:
現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。
現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。
また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。
さて、今回の「相手依存の自己規定」では日本人と欧米人の考え方を対比しながら論理を構成しています。どのような違いがあるのかに注目しながら読み進めていきましょう。
要約文
第一段落(つかみ): 日本人とアメリカ人の自我構造の違いについて事例紹介
具体例: 人間関係において、日本人は自分の心を誰かと共有したがる。しかしアメリカ人は「自分の気持ちは自分にしかわからない」と日本人の悩みを笑い飛ばすのだ。
🐿の補足: 友人との秘密の共有って心ときめくもの。それができないのは孤独だと日本人は嘆くのですが、アメリカ人はそんな日本人の繊細な悩みを「愚の骨頂だ」と切って捨ててしまいます。カルチャーショックですね。
第二段落: 日本人のこの自我構造はどこから来るのか。
筆者の考え: 私たちは他者を基準にして自分の立ち位置や考え方、意思(=アイデンティティ)を決める。
🐿の補足: 人間関係を振り返って、相手の意見を待ってから自分の意見を決めてませんか? いつでもどこでもジャイアンの言う通り。そんなスネ夫くん(さん)は周りにいませんか? スネ夫は典型的な日本人なのです。
第三段落①: 第二段落の根拠を現代日本語を具体例にして考える
具体例: 現代日本語は自分を呼ぶ時に人称代名詞を使わず、資格や地位を表す言葉を用いる。
具体例1: 弟を持つ子供に「あなたはお兄ちゃんなんだから」
具体例2: 生徒に向かい「先生からはこれを勧めるわ」
具体例3: 子供に向かい「あっちにいるパパを呼んできて」
→ お兄ちゃん、先生、パパは全て他者を基準にした呼び方であり、名前で呼ぼうとしない。
🐿の補足: 筆者は「私」「(名前)」など他者が誰であっても変化しない呼び方を「絶対的な自己表現」、「お兄ちゃん」「先生」「パパ」など、他者次第で変化する呼び方を「相対的な自己表現」と呼んで区別しています。
第三段落②: 相手によって自分の立場を変える日本人のプラス面とマイナス面を考える
プラス面: 臨機応変。その場その場でもっともふさわしい選択ができる。欧米とは違って「みんなで決める」という空気を作ることができる。
マイナス面: 自分の意思をもてない。
第三段落③: 日本人は「対話」をしない。
*対話とは「異なる」者どうしが意見をぶつけ合い、解決策を見出す行為。ひたすら「相手に合わせる」「相手と同じところを探す」文化で育った日本人にはこれができない。
どんな話か理解できたでしょうか?
🐿はいろんな背景を持つ生徒を教えてきました。偏差値でいえば30,40,50,60,70。その中でもリーダーに向いている子、ネガティブ思考、体育会系、オタク系、文字通り多種多様な生徒がいました。「多様性を認めよう」と言葉で言うのは簡単ですが、一歩間違えば「相手を肯定」すると「自己の否定」、もしくはその逆、「自分を肯定」することは「相手の否定」につながりかねない人間関係も多かったです。それぞれ違うからこそ、友達になると違った楽しさがわかるんですけどね。それを踏まえると、みんなちがってみんないい、というあの言葉の美しさに改めて心を打たれてしまいます。
授業案:
この文章はアメリカ人と日本人という対比が軸になっている。手元の問題集の文章を一つ読み、その文章の対比軸を見つけ、その違いをまとめて要約せよ。
授業案:
筆者の意見は本当に現代日本を表しているのだろうか。現在は急速に教育が代わり、10代の文化も変わりつつある。筆者のいう「日本人の価値観」は本当に10代日本人に当てはまるのか。筆者の意見に賛成か反対かを選び、自分の考えを具体例も交えて論じよ。