科学的「発見」とは
著者:小川眞里子
前置き:
現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。
現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。
また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。
さて、今回の「科学的「発見」とは」は、筆者の主張と具体例がはっきり別れた、ある意味模範的な単元となっています。筆者の主張を見つけて線を引いたあとは「適当に」読む、「読み飛ばし」の訓練をしていきましょう。
要約文
第一段落: 事実を観察するのはそれほど単純なものではない。
対比: (一般論として)見るだけで真実は明白だ。見たこと以上の情報は得られない。
具体例: 現場を目撃する。動かしがたい証拠写真が挙がる。
🐿の補足: 事実の観察は単純ではない。じゃあ、どういうことなのか? 筆者はこの段落で結論を述べていませんが、ここの問いかけが筆者がこの文章で主張したい大事な部分だということがわかります。
第二段落: 私たちは物事を見るとき、直接視界にないものもかなり補いながら見ることができる。
具体例: 下の絵を見て何が見えるか。
(著作権を考えて画像なし。教科書の絵を見てください。)
多くの学生が虫など答える中で、ある学生は「コアラが見える」と言った。私たち人間は「木の裏」という視界にないものまで見ることができるのだ。
第三段落: 「見る」つまり観察は、観察者の背景知識に左右される。
具体例: 下の絵を見て何が見えるか。
(著作権を考えて画像なし。教科書の絵を見てください。)
どう見ても意味のない点々にしか見えないが、ある学生は「二人の人間が(ダンスしている様子が)見えます」と言った。その背景知識を入れてもう一度絵を見ると、今まで見えなかった姿が浮かび上がるのだ。
第四段落: 観察するためにはまず自分が主体的に理論を作り、何を見るのかを決める必要がある。
🐿の補足: 上記の例からもわかるように人間はその場に写っていないものを見たり、逆に見えているはずなのに見えないことも多いです。だから見る前に仮説や理論を作って、「何を見るのか」決めないと、簡単に間違えてしまいます。
色々と文章だけで説明してみましたが、twitterで全く同じ考えが、圧倒的にわかりすく説明された呟きが流れてきたのでそちらも貼り付けておきます。
どんな話か理解できたでしょうか?
自分にないものは旅をしても見つからない。たしかゲーテあたりの格言だった気がします(曖昧引用失礼)。そこにあっても、知らないものを見ることはできません。路傍の小石が見えないように、人はものごとに名前をつけ、自分にとって意味あるものにしないと、その存在を見ることができないのです。
世界について学び、豊かな背景知識をつけたら、今見ている世界がもっと色づいて見えます。なんて、ちょっと本文の主旨からはずれてしまいますが、そんなことを思うのです。
授業案:
他の文章を読み、筆者の主張と思われる箇所にのみ線を引き、段落ずつ要約せよ。