読み書きする身体
著者:港千尋
前置き:
現代文で学ぶことは大きく分けて二つ。二項対立(論理構造)と、抽象的思考と具体例の識別です。
現代文では今と昔、日本と海外、一般論と筆者の持論というように、対比軸をもって物事を論じています。これを二項対立といい、何と何を対比しているのか、筆者の意見の根拠は何か、論理構造を考えることが大事です。
また、筆者は抽象的な持論を持っており、その持論を具体例で補強しています。筆者は結局何が言いたいのか。抽象的思考と具体例を識別できるようになりましょう。
さて、今回の「読み書きする身体」では単純明快な筆者の主張を見抜くことが必要になります。一般論と筆者の主張を対比できたらあとは飛ばし読みしてしまいましょう。
要約文
第一段落: 書物の形態は紙から電子書籍に変わったが、変わりゆくものについて「身体論」の側面からもう一度考えてみたい。
対比: (一般論として)書物といえば「中身が大事」であり、形態が紙から電子に変わっても、本質は変わらないはず。
具体例: 私たちは指を使って文字を習得してきた。また、子供達は石板に最初の文字を蜜で書き、それをなめることで、「知識とは甘美」であることを習得する。また書道の授業や、インクで両手を染みだらけにしながら学ぶなど「身体で学ぶ」現象は存在するのである。
🐿の補足: 身体や触覚を用いて理解させる教育としてはヘレン・ケラーが有名ですね。目も耳も不自由な彼女に、ほとばしる現実の水と「水」という文字を結びつけて理解させるにはどうすればよいのか。当時の家庭教師、サリバン先生は頭を悩ませます。
また、私たちも小学生のころの漢字や英単語など、何かを覚えるときには手や指を使っていたことは身に覚えがあると思います。「頭で覚えなくとも身体が覚えている」という現象は確かに存在するのです。(ちなみにこの身体論の思想は現代文では鉄板です。必ずどこか他の文章で出てくるのでついでに覚えておきましょう。)
第二段落(まとめ): この身体性と知識の習得は、(習得し終わった)大人になるとすっかり忘れてしまうものなのだが、電子の媒体でも伝えるために、もう一度考えるべきだと思う。
どんな話か理解できたでしょうか。
大変大雑把に分類するとしたら、「電子書籍(今) vs 紙の本(昔)」の話です。この教科書に掲載されているおじいさんのランプや書物の近代と同じジャンルに分けられるでしょう。しかし、この三つの話を比較して読むと、様々な立場の考えがあることがわかります。同じような意見に見えても別物になってしまうのです。
ぜひ、比較して読み、それぞれの立場の違いを考えてみてくださいね。
授業案: 「おじいさんのランプ」「書物の近代」「読み書きする身体」を読み比べ、一番自分の意見に近いものを選び、その理由をまとめよ
(東京書籍の教科書の例題から抜粋)
授業案: 身体論における身近な例としてスポーツが考えられる。体育や部活動を通じて学んだ、身体の動かし方、戦術論、全体と自分の動き、それらを言語化して紹介せよ。