変えたい世界

なんのために今の国語教育をやるんだろう。と教師だった自分はずっと疑問でした。

教師だった時、3月の最後の授業ではアンケートを取っていました。

「この一年間の授業を受けて何かできるようになったことはありますか?」

結果は散々。「漢字が書けるようになりました」はまだいい方。「眠さに負けない精神力」「耐え続ける忍耐力」などの感想がずらり。無力感でいっぱいでしたね。

🐿はAO入試の指導もやっていました。あまり公言はできないのですが、算数の分数の計算ができなかったり「cake」の読み方がわからない学力が低い生徒を、地元の大学に送り込むミッションです。

生徒の志望学科を聞き出し、🐿がその分野の新書を数冊読んでその業界のトレンドを学習。大学教授の専攻研究なども調べ、「その生徒」が書きそうな志望理由や体験談を生徒と一緒に考えます。あるいは🐿が考えて生徒に暗記させます。課題図書の感想文などの課題が出た場合は、🐿が課題図書を買って読み、生徒に解説して、🐿が合格するための感想文を書き、また生徒に解説します。ちなみに生徒に感想文を書かせたら「面白かった」を400字くらいに引き伸ばしただけの文章が返ってくるので、基本的に全部破棄です。そんなことをやり続けて🐿は一年間に10~20ほどの大学や専門学校に合格しています。

 詐欺ですね。🐿が現役高校生の時は、先生や塾に頼らず一人で勉強して一般受験で大学に進学したので、そんな世界があることに衝撃を受けたものです。でも、ここではその倫理について詳しく述べることはしません。

 ここで🐿が訴えたいのは、今の国語教育を三年間真面目に受けたとしても、上記のことを生徒が一人でできるようにならない、ということですね。真面目に授業を受けていたら、人生で役に立つ必要な能力が身についてほしいです。「先生のおかげでちゃんと生きていけます」と言われたいです。じゃないとなんのために「宿題やってきなさい」「授業中に寝るな」と叱っているのでしょう。生徒たちの貴重な時間をもらっておいて、代わりに私が何も提供できなかったのでは、あまりに申し訳ないです。

 新書を読む読解力、学科やその分野の現代の課題を調べる調査力、比較検討できる判断力、学科にあった志望理由や体験談を考えられる思考力や文章力。そういう能力をつけてほしいのに、高校で行う普通の「現代文の授業」や「古典の授業」ではその能力を身につけることはできません。3月のアンケートでもその結果が出ています。

 色々と授業の研究はしました。まず古典の授業で、古典文法を教える時間が多すぎて邪魔だと思ったので、古典文法を教えるアプリやゲームを作って、自習させればいいんじゃないかと考えました。

 ちなみに🐿は3年古典文法を教えていて飽きました。50歳になってまで「いい? カ行変格活用はこ・き・く・くる・くれ・こ。はい。復唱して」とか言っている自分を想像すると、馬鹿馬鹿しすぎて発狂しそうになりました。みなさんよく精神を保てるものです。

 アプリを使って自習ができれば、私が授業をしなくてもよさそうです。週三コマ古典の授業があるとしたら、週一コマくらいはフォローや確認テストで使うとして、残り二コマ、浮いた時間で小論文講座でもいれるか。

 というわけで作りました。興味があればインストールお願いします。

https://apps.apple.com/jp/app/cheat-%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%96%87%E6%B3%95/id1539109347

 さて、大真面目にアプリを使った授業計画を考えたのですが、ハードルが高すぎることに気づきます。

 テストや成績をどうする、とか。同じ学年の他の先生とどう合わせる、とか。そもそも国語教育の目的を自分が勝手に決めていいんだっけ?とか。 

今更「古典文法を受験で使う生徒も多分クラスに2、3人くらいだけど、指導要領に書いてあるから普通に教えるべき」「今更古典文法の指導をやめてしまったら、古典文法の参考書を書く団体や予備校の先生たちが困るでしょ」などと言ってくるおじいちゃん先生と議論するのは、とてもとてもとても、だるい。言葉は悪いのですが、100年前、明治時代のおじいちゃんたちが決めた今の教育カリキュラムに何も疑問を抱かず、思考停止で「従うべき」と決めて数十年やってきたベテランと議論するのはだるすぎてやってられない。

 古典文法廃止論は昔から論じられているけれど、私はそれに興味がない。やってもいいしやらなくてもいいし、生徒ができようができまいが、心の底からどうでもいい。

 というわけで古典の授業を変えるのは諦めます。後進の若い人たちに任せます。よろしく。

 次は現代文の授業。真面目に現代文を勉強すると、文章力がメキメキ上がるんだけど、そういう授業をするには時間も人手も足りない。

 まず、自分が受けてきた授業や見てきた授業だけで語るのも恥ずかしいのですが、講義式の現代文の授業って意味あるんですかね? 要約すれば5分で理解できるような教科書の話を、一コマ50分の授業を何コマも使って教師が解説。結局その時間で生徒はどんな技術を身につけるのでしょう? 何が残るのでしょう。

 という疑問から始まって、まずこの教師が解説する時間をなくそうと、要約サイトを立ち上げます。5分読めば大体理解できる、を目標にしています。ついでに読解のコツもこちらで習得。浮いた時間で読む文章の量を増やし、自力で文章を要約できるように読解の練習します。練習した文章を🐿一人で読んで評価するのは限界があるので、小論文のSNSサイトを作りました。生徒同士が文章を評価しあって、勝手に高め合うシステムです。

 こちらも大真面目に授業計画を検討したのですが、やっぱり色々と壁にぶつかり挫折しました。まあ、心の病気を患うくらい、色々あったんです。

 そして🐿が教職を離れました。それが2018年。自分の中で天職だったのですが、色々と辛かったので諦めてしまいました。

 今後教師をやる予定も一切ないのですが、それでも当時作ったアプリや要約サイトは今も毎月数万人の高校生が利用してくれています。誰かの役に立っていればそれだけで嬉しいなあと思うのです。